【こんにちは 大塚矯正歯科クリニックの大塚 淳です】
今日はブログ2機目出撃
現在、予断を許さない状況になっている
38度線での攻防
以前、家族でソウルに旅行に行った時
長男君にソウルの歴史を聞かれて
延々と2時間説明した覚えが・・・(笑)
以前にもブログに書きましたが
旅行に行く前にその国の歴史を勉強すると
違った目で旅をする事が出来ます。
このあたりの本が簡単で宜しい♪
朝鮮戦争
38度線・破壊と激動の1000日
(新・歴史群像シリーズ 8)
朝鮮戦争(ちょうせんせんそう、1950年6月25日 – 1953年7月27日休戦)は、成立したばかりの大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で、朝鮮半島の主権を巡って、北朝鮮が軍事境界線を越えて侵攻したことによって勃発した国際紛争[3][4]。
1953年に休戦に至ったが、平和条約は結ばれないほか、緊張状態は解消されておらず、全土が戦場となり荒廃した朝鮮半島も、開戦前同様、南北二国に分断された状態のままとなっている。現在まで、随時北朝鮮側による領空・領海侵犯を原因とした武力衝突が発生している。
第二次世界大戦末期、ソ連軍(赤軍)は満州と朝鮮半島北部に侵攻した。アメリカは、朝鮮半島全体がソビエト連邦(ソ連)の手に落ちることを恐れ、ソ連に対し朝鮮半島の南北分割占領を提案した。ソ連のヨシフ・スターリンはこの提案を受け入れ、朝鮮半島は北緯38度線を境に分割占領され、その後、北朝鮮、韓国に分かれて建国する。
北朝鮮の侵攻を受けた韓国側にはアメリカ合衆国軍を中心に、イギリスやオーストラリア、ベルギーやタイ王国などの国連加盟国で構成された国連軍(正式には「国連派遣軍」)が、北朝鮮側には中国人民義勇軍(または「志願軍」。実際は中国人民解放軍)が加わり、ソ連が武器調達や訓練などの形で援助したため、アメリカとソ連による代理戦争の様相を呈した。
なお、日本では朝鮮戦争(ちょうせんせんそう)もしくは朝鮮動乱(ちょうせんどうらん)と呼んでいるが、韓国では韓国戦争や韓国動乱あるいは開戦日にちなみ6・25(ユギオ)、北朝鮮では祖国解放戦争、韓国を支援し国連軍として戦ったアメリカやイギリスではKorean War (朝鮮戦争)、北朝鮮を支援した中華人民共和国では抗美援朝戦争(「美」は中国語表記でアメリカの略)と呼ばれている。また、戦況が一進一退を繰り返したことから「アコーディオン戦争」とも呼ばれる。