プレオルソ開発者
「矯正専門医」大塚 淳の一診入魂

世界最速のインディアン

お奨めの本

こんにちは大塚矯正歯科クリニックの大塚 淳です。
今日の岡山は 梅雨らしからぬ晴天です。
今日の本をご紹介いたします。

世界最速のインディアン
  バート・マンロー スピードの神に恋した男
ジョージ・ベッグ (著), 中俣 真知子 (翻訳), 池谷 律代 (翻訳), 岡山 徹 (翻訳)

題名のインディアンとは 
アメリカ先住民のインディアンとは違います
バイクのインディアンのことです。
当時はハレーダビットソンと競り合ったメーカーでしたが
残念ながら今は生産中止です。

バートが1967年
インディアンのボアアップした
エンジン950ccを駆って
ボンヌビルで叩き出した 時速295.44km
はカテゴリー別での世界最速を樹立した。
未だにこの記録は破られていない
なんとこの時 
バートは67歳だった言うから驚きだ(凄)
本題に戻ろう
本の内容は著者元々メカニックのため
エンジンに関する専門的な内容多く
少し読み難い。

映画も出ている、脚色されているが
バイクが走るシーンは秀逸だ

バートは結構女好きらしい(笑)

なんと言っても2輪で事故にあった事も度々だったと
伝えられているが、大事故至らなかったのは
バート自身が非常に運気が強い人だったのだろうと思われる。

人懐っこい性格が幸いしていたようだ。
バイクのリのお方は 是非一読を・・・

記録
·1962年に、51in3 (850cc) にボアアップしたエンジンで、時速288km (時速178.97マイル) の世界記録を樹立した。
·1967年には、58in3 (950cc) にボアアップしたエンジンで、階級記録の時速295.44km (時速183.58マイル) を樹立した。記録を樹立するために、彼はインディアンでの最速の公式速度記録である、一方向走行での時速190.07マイルを達成している。非公式の速度記録は時速331km (時速205.67マイル) である。[1]

ハーバート・ジェームス・マンロー (Herbert James Munro, 1899年3月25日-1978年1月6日) は、ニュージーランド、インバーカーギル出身のライダー。

インディアン・・・・ウィキペディアより引用
インディアンは、アメリカ合衆国で最も古いオートバイのブランドであり、マサチューセッツ州スプリングフィールドに、ジョージ・M・ヘンディとカール・オスカー・ヘッドストロームによって1901年(明治34年)に設立されたIndian Motocycle Companyのオートバイのことである。
当時のほとんどのバイクが後輪を駆動するのに革ベルトを用いていた時代に、インディアンの第1号車は、チェーンを使用し、革新的であった。このモトサイクル市場に新たなページを加えることとなったインディアンの第1号車は、1901年の5月の終わりに発売された。この2年後の1903年にハーレー・ダビッドソン社が設立され、1910~1920年代、インディアンと熾烈な争いをするのである。
1911年(明治44年)インディアンは、マン島でのツーリストトロフィー・レースでVツイン7馬力の新型エンジンを登場させ、1~3位を独占、インディアンという名は、否が応にでも世界中に知れ渡っていった。1920年代を通してインディアンは、高性能・高品質の代名詞となっていた。当時の代表的なモデルは、SCOUT(スカウト)とCHIEF(チーフ)であり、排気量は750ccと1,000ccのSVエンジンを搭載していた。
1940年代がこの会社のピークで、当時は世界最大の規模、3,000人が働いていた。しかし1953年、売上が落ち、スプリングフィールドでの製造が中止となった。後、イギリス人のオーナーが工場を別の町に移し(チコピー市)再開したが、1959年に会社を解散してしまう。
1989年新たな投資家が旧インディアン社と同じマサチューセッツ州スプリングフィールドにIndian Motocycle Company,Incを設立し、「インディアンモトサイクル」を復活させた。しかし数年後この会社も倒産に追い込まれ、その後幾人かのオーナーに引き継がれていくが、倒産が繰り返され、インディアンバイクの生産の中止を余儀なくされた。

出版社からのコメント
1台のバイクと生涯をかけた夢
人生が一度きり。
誰のものでもない自分の人生を生きろ!
—-そう、バート・マンローのように
戸井十月(作家)
芸術の世界としてのカテゴリーとは違い、技術をもって記録と戦う挑戦の世界で
は白黒がはっきりしている。イメージで飾ることなどできない。現実が功績だ。
それゆえ失敗や挫折を成功の何倍も経験する。私はレース中に壊れたパーツ群を
誇らしく感じる。そしてどれを手に取っても、当時の苦い思い出が鮮明に甦って
くる。それは、バートがしていたこととまったく同じだった。その壊れたパーツ
をバートは「スピードの神への捧げもの」にしていた。その気持ちが、痛いほど
わかる。トロフィーで優勝の余韻に浸ることなんかより、失敗作を作ってしまっ
た経験を甦らせることのほうが成功へのエレメントとして遥かに貢献している。
サンダンス代表 スペシャルエンジニア 柴崎武彦氏の解説より抜粋

著者について
ジョージ・ベッグ
ニュージーランドのサウスランドで育つ。エンジニアとしてのキャリアで成功を
収める一方で、バーとと同じ時期に、バイクレースに数多く出場。趣味として、
レーシングカーの組み立てや改造も手がける。現在は一線から退き、執筆活動を
しつつ、妻のフレダと共にオーストラリアのオークランドに在住。本書のほかに
『A Classic World』などの著書がある。

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